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新潟地方裁判所 昭和44年(ワ)248号 判決

原告

田中潤子

被告

小野商事株式会社

主文

一、被告は原告に対し金一一五万円およびこれに対する昭和四六年四月三日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四、この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金六九八万九、七六〇円およびこれに対する昭和四六年四月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

(一)  原告は昭和四三年一二月一九日午前零時一〇分頃、トヨタカローラ乗用車を運転し、時速約三五キロメートルの速度で新潟市本町通りを南進し、同本町通り五番町交差点に進入したところ、突如原告の前記乗用車の進行方向左側道路から時速約六六キロメートルの速度で進行して来た訴外清水亮運転の日産プリンススカイライン乗用車(被告車という)と、衝突し(以下これを本件事故という。)、その結果前額部多発性切創、右下腿挫創、外傷性頸部症候群の傷害を受けた。

(二)  被告会社は被告車の所有者であり、訴外清水は被告会社と密接な関係にある訴外新潟第一商事株式会社(以下訴外会社という。)の従業員であるところ、被告は同訴外人に本件事故当日被告車を貸与し同訴外人は貸与を受けた被告車を運転中本件事故を起したのであるから、被告は自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)三条の運行供用者に該当し、原告に対し、後記損害を賠償すべき義務がある。

(三)  原告は第一項に述べた事故によつて次の損害を受けた。

(ⅰ) 逸失利益

〈イ〉  原告は本件事故当時、父昌平の経営するサロン「泉」のホステスとして勤務し月額金五万円の収入があつたが、本件事故による傷害のため昭和四三年一二月二〇日から同四四年四月二〇日までの四ケ月間ホステスとして働くことが不可能であつたからその間の得べかりし収入として合計金二〇万円。

〈ロ〉  原告は本件事故によりその前額部に5センチメートル×3センチメートルの瘢痕を後遺症として残したため、容貌を売りものとするホステスあるいはマダムとして働くことは不可能ないし困難になつた。ホステスあるいはマダムとして得られる収入と他に転職した場合に得られる収入の差額は少くとも月額金二万四、〇〇〇円である。原告はホステスあるいはマダムとして向後三〇年間は稼働可能であつたからホフマン複式によれば次の算式のとおり原告の三〇年間の逸失利益は金五一八万九、七六〇円となる。

2万4,000円×12ケ月=28万8,000円

28万8,000円×18.02=518万9,760円

(n=30の現価率)

(以上〈イ〉、〈ロ〉の逸失利益の合計額は金五三八万九、七六〇円。)

(ⅱ) 慰謝料 原告は短大を中退後前記サロン「泉」のホステスとなり、仕事に精励していたのであるが、本件事故による前記傷害のため客の前に出ることができなくなり、ホステスあるいはマダムとして今後も稼働することを断念せざるをえなくなつたばかりでなく、原告は前記サロンの後継を期待していた両親の許に居るのが辛くなり遂に昭和四五年末頃家出し、未だにその消息が知れない状況であつて、原告のかかる甚大な精神的苦痛の慰謝料として金一〇〇万円が相当である。

(ⅲ) 弁護士費用 原告は訴訟代理人の両弁護士に委任して着手手数料として金一五万円支払い、さらに成功報酬として金四五万円を支払う旨の報酬契約を締結しているので、本件事故による弁護士費用は合計金六〇万円である。

(四)  よつて原告は被告に対し、本件事故の損害賠償として、合計金六九八万九、七六〇円およびこれに対する「請求の減縮申立」と題する書面の送達の翌日である昭和四六年四月三日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べ、被告の抗弁事実を否認し、再抗弁として、仮に被告会社が訴外会社との間で、本件事故当時、被告車を交換していたとしても、被告会社と訴外会社とは、親子会社の関係にあり、形式上は、別個の法人格を有しているが、実質的には、同一会社の別部門というにふさわしく、被告車の使用についても、被告会社と訴外会社は、それぞれ明確に使い分けせず、混然一体となつて、使用していたものであつて、たとえ、両者の間に被告車の交換がなされたとしても、被告会社はそれによつて、直ちに、被告車に対する運行支配を失なうものではない、と述べた。〔証拠関係略〕

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

(一)  請求原因第一項の事実中、原告主張の日時に本件事故があつたことは認めるが、その態様、原告の受傷の部位、程度については知らない。

(二)  同第二項の事実中、訴外清水亮が訴外会社の従業員であることは認めるが、その余の事実は否認する。

(三)  同第三項、同第四項の各事実はいずれも知らない

と述べ、抗弁として、被告車はもと被告会社の取締役訴外小野昭英の所有であつたところ、昭和四三年六月二〇日訴外会社所有のトヨペツトクラウン車と交換され、本件事故当時訴外会社が所有していたものであるから被告会社は被告車の所有者ではなく、また、その運行について何ら支配を及ぼしえない関係にあるから自賠法三条にいわゆる運行供用者ではないと述べた、〔証拠関係略〕

理由

(一)  昭和四三年一二月一九日午前零時一〇分頃、原告の運転する乗用車と訴外清水亮の運転する被告車が衝突した事実(本件事故の発生)については当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告は本件事故によつて前額部多発性切創、右下腿挫創、外傷性頸部症候群の傷害を受けた事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  〔証拠略〕によれば、被告会社は昭和四二年一二月頃訴外日産プリンス新潟販売株式会社から被告車を購入し、被告会社の取締役訴外小野昭英の通勤用等に使用させていたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。されば、被告会社はこれによつて被告車を自己のため運行の用に供する者の地位に就いたものというべきである。

(三)  そこで、被告会社の抗弁について判断するに、〔証拠略〕によれば、本件事故当時の保険契約者及び自動車登録原簿上の使用者はいずれも被告会社であることが認められるばかりでなく、〔証拠略〕によれば、被告会社は本件事故当時被告車を所有しこれを清水亮に貸与中であつたこと、被告会社は本件事故につきその当事者として原告の父昌平と示談交渉を重ねたことが認められるところ、右認定事実によれば、本件事故発生当時被告会社は被告車を訴外会社に譲渡したものとは到底認められず、却て被告車を所有していることが認められる。

なるほど、〔証拠略〕には被告会社は訴外会社と被告車の交換をした旨の記載があり、証人田中靖章、同小野昭英も被告主張に添う証言をしているけれども、他方、右各証言によれば右田中靖章と小野昭英はいずれも被告会社の取締役を兼ねていること、被告会社は昭和四二年四月五日ビル経営を主たる目的として設立されたものであり、また訴外会社は翌年五月バー等の経営を主たる目的として設立されたものであるが、両社はいずれも訴外市島長松を中心とするいわゆる同族会社であつて訴外会社は被告会社の経営する「王紋ビル」四階の一室を借り受けていたが被告会社に対して賃料を支払つたことはないことが認められるところ、被告会社と訴外会社との前認定のような関係からすれば被告会社は本件事故前訴外会社に対して売買契約書を作成してまで被告車を譲渡したものと認めることは極めて困難であるといわなければならない。このことは〔証拠略〕によれば被告車の当初の購入契約者は小野昭英としながら自動車登録原簿上の使用者を被告会社とするというように個人と会社との関係をルーズにしていた被告会社が前認定のような特別の関係にある訴外会社との間において殊更売買契約書を作成することは不自然であるばかりでなく、もし仮に被告会社が真実訴外会社に被告車を譲渡し、その際売買契約書が作成されたとすれば、前認定のような訴外会社との関係から考えて保険登録関係の手続上作成されたものと考えるのが自然であるにも拘らず本件事故当時いまだ右手続がなされた形跡が見当らないことからしても充分推認し得るところであるといわなければならない。

してみれば、前記認定に反する証人田中靖章、同小野昭英の各証言部分は前掲各証拠に照らしてたやすく信用することができず、結局、本件事故発生当時被告会社が訴外会社に対し被告車を譲渡したとする被告の主張は失当として排斥するの外なく、被告会社は自賠法三条本文の規定により被告車の運行に因る本件事故で生じた後記損害の賠償をなす義務があるものといわなければならない。

(四)  よつて以下原告の損害の点について判断する。

(ⅰ) 休業補償について

〔証拠略〕によれば、原告は本件事故当時父昌平の経営するサロン「泉」のホステスとして勤務し月額少くとも金五万円の収入を得ていたこと、原告は昭和四三年一二月二〇日から昭和四四年四月二〇日までの四ケ月間右勤務を休みその間全く収入が得られなかつたが右欠勤は本件事故による前記傷害のためホステスとして勤務することが著しく困難であつたことによるものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。してみれば右の期間の欠勤は本件事故によるものであり、その間合計金二〇万円の利益を失つたことになる。

(ⅱ) 将来の逸失利益について

〔証拠略〕によれば、原告は本件事故によりその右前額部に後遺症として縦約三センチメートル、横約五センチメートルの瘢痕を遺したことが認められ、右認定に反する証拠はない。しかしながら、本件全証拠によるも原告がサロンのホステスあるいはマダムとして向後三〇年間稼働することができたものと認めるに足りないばかりでなく、今後サロン等のホステスとしての稼働能力を失つたものといえるかどうかは必らずしも明らかではない。なるほど証人田中昌平は原告は容貌にすぐれホステスに向いていた旨証言するけれども右証言をもつて直ちに原告が向後三〇年間ホステスあるいはマダムとして稼働し得たものと認定することはできない。のみならず、後記認定のように、原告は父昌平から再度ホステスとして働くことを勧められている事実からすれば原告は本件事故によつてホステスとしての稼働能力を失つたものとは必らずしも断言できない。

したがつて逸失利益に関する原告の主張はその証明がないことに帰着し排斥するの外ない。

(ⅲ) 慰謝料について

〔証拠略〕によれば、原告は新潟商業高校を卒業後帝京女子短大家政科に入学したが同大学二年在学中の昭和四三年夏頃原告の父昌平の強い勧めにより同大学を退学して当時父の経営していたサロン「泉」のホステスとなつたこと、原告は本件事故の結果、昭和四三年一二月二〇日から昭和四四年二月四日まで新潟市の桑名病院に入院し、その後同月五日から同年四月一九日までの間同病院に通院(うち治療実日数九日)したが、その後の病状が思わしくなかつたため前同日から同年五月三日までの間同市の中央病院に入院し、その後の同月四日から同年六月一七日までの間同病院に通院(うち治療実日数五日)したこと、しかし前記外傷による前額部の瘢痕手術のため同年一〇月二七日から昭和四五年七月七日までの間新潟大学医学部付属病院に通院して手術を受けた結果、右瘢痕はかなり消失したがなおまだ完全に消失するに至つていないこと、原告は本件事故のためサロン「泉」のホステスをやめ昭和四五年一月から同年一〇月までの間新潟市内の株式会社中谷商店に経理事務員として勤めたが、父昌平が再び前記サロンにホステスとして勤めることを執拗に勧めたためこれを嫌つた原告との間に不和を生じその結果遂に家出するに至り現在ようとして行方が知れないこと及び原告は本件事故当時満二〇歳の未婚の女性であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。以上の認定事実を総合すれば、本件事故により原告の蒙つた精神的苦痛を金銭にかえると金八〇万円をもつて相当とする。

(ⅳ) 弁護士費用について

〔証拠略〕を綜合すれば、原告は、本件事故による損害賠償額を被告が任意に支払わなかつたため本訴を提起せざるを得なかつたこと。そのため原告は本件訴訟と弁護士岩野正、同橋本保則に委任し昭和四四年三月三〇日着手金として金一五万円を支払い、更に成功報酬として金四五万円を支払う旨の報酬契約を締結したことが認められ、右認定に反する証拠はない。しかしながら、本件事件の難易、被告の抗争状況及び本件審理の経緯等諸般の事情を考慮すれば弁護士費用として被告に負担させる分は金一五万円をもつて相当とする。

(五)  以上認定のとおり、被告は原告に対し合計金一一五万円の損害賠償金及びこれに対する本件事故発生の後である昭和四六年四月三日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるがその余の原告の請求は理由がない。

よつて、原告の本訴請求中、右認定の限度においてこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 泉山禎治)

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